ニッポンの頭脳、技術開発者・萩原忠先生の発明家人生と未来への想い <前編>

ニッポンの頭脳、技術開発者・萩原忠先生の発明家人生と未来への想い <前編>

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インターホールディングスの事業を語る上で欠かせない“真空特許技術”。この技術は、「戦後日本で活躍した代表的な技術者20人」の一人である技術開発者、萩原忠先生から始まりました。今回は、インターホールディングス名誉会長であり、“ニッポンの頭脳”とも呼ばれる萩原忠先生に、これまでの人生や真空特許技術についてお話しいただきました。

92歳で今なお現役の発明家であり技術開発者

萩原忠さん(以下、萩原先生)は山梨県生まれ。日本を代表する発明家として、これまで600以上の特許を取得。また、技術者として若くから活躍し、アメリカのNASA計画にも参画。帰国後は原子力発電所の周辺油圧制御装置の開発や、日本、米国、仏国、3国合同開発のメンバーとして、下水前処理自動高速除塵機に携わるなど、ここでは書ききれないほどのご活躍をされています。

ハジー技研のみなさん

現在は、2001年に創業したハジー技研株式会社代表取締役を務め、技術開発者として先頭に立ち、液体力学を応用した各種機能容器の技術開発を行なっています。

ハジー技研さんの事業や先生の輝かしい経歴はこちらからご覧ください!

萩原先生とインターホールディングス

萩原先生のインタビューのご紹介前に、先生とインターホールディングスの関係をご紹介します。

インターホールディングスは、真空特許技術で地球温暖化・フードロスを解決する事業を展開しています。この真空特許技術は、萩原先生がNASAのアポロ計画に参画し開発したロケットの油圧危機に着想を得て発明した技術であり、地球上最大の99.5%という、世界で唯一の真空率を実現しています。

この真空パック容器の中にものを入れると、宇宙空間にものを入れたときと同じ効果が見込めます。(ものの酸化を遅らせ、鮮度を保つことができる技術)

この技術に地球の環境課題を解決できる未来をみた私たち。
萩原先生のもとに3年間通い詰め幾度となくお話を重ねる中で、2022年に真空特許技術の権利譲渡をしていただくことができました。

なぜ、こんな素晴らしい技術を権利譲渡いただけたのか

私たちは、先生のこの真空パックを、市場で“ただ”販売するだけではなく、全く新しいビジネスモデルで世界中に広めるというビジョンを掲げています。
この真空パックをサプライチェーン全体に組み込むと、フードロスとCO2の削減を同時に実現できる唯一のソリューションになります。一次生産者、メーカーには大容量の業務用真空パックを、小売には真空量り売り機を、消費者には真空マイボトルを配布することで実現を目指しています。

萩原先生は69歳で大病を患い余命宣告を受けました。奇跡的に回復しましたが、この出来事をきっかけに「なにか人のため、世のため、役立つ物はないか」と考え、この真空容器の開発に着手しました。

先生が決意と共に開発されたこの真空技術をサプライチェーンに組む込むことで、これまでの社会が大きく変わり地球課題の解決につながるビジネス。
志を1つに、地球のため、未来にために共に歩みたい。

萩原先生が私たちの想いに共感し、真空特許技術の権利譲渡をしていただくことができました。

技術開発者・萩原忠先生にインタビュー - 前編 -

インターホールディングス名誉会長であり、“ニッポンの頭脳”とも呼ばれる萩原忠先生に、これまでの人生や真空特許技術についてたくさんお話ししていただきました。

手先の器用さと記憶力でロケットをも作り出す

先生の幼少期はどんな子どもでしたか?
萩原先生:自分の人生、まさか技術屋になるなんて思っていなかったですね。事業家一族で親も兄弟も事業家だったけれど、技術者は一人もいなかった。
子供の頃はどこにも遊びに行かない子で、お袋に「どこか遊びに行ったらどう?」とよく言われていた。でも、外に行かず、コツコツずっと一人で何かを作っていましたね。

ー 昔から手先が器用だったんですね

萩原先生:そうだったんだね。でも、自分では作り出すことは当たり前のことで、ないものが自然にできてしまうような感覚だった。ある日、できた物をおじさんに見せると、「これはどこから持ってきたんだ!」とよく言われてました。
ー自分で作ったと信じてもらえなかったんですね(笑)

萩原先生:そうそう(笑)。こんな小さい子どもにできるわけないと思われて、信じてもらえなかったんだね。戦後駐留軍が入ってきた中学生の頃に、少年刑務所に入ったこともありますね。

ー え?!

萩原先生:ある時入れられてしまって。
幼い頃、戦争中にドイツがベルリンからロケットを作ってロンドンまで飛ばした話を聞いていて、その話が頭の中に残っていた。それを思い出し、近所の線香花火をみんな集めてロケットを設計して飛ばしたことがある。そしたら、とんでもなく飛ばしてしまった。アメリカ軍がいた時期だったから、見つかって怒られたことがあったね。

アフリカの過酷な現実を知り、自ら動き出す

真空容器を開発されたきっかけは?
萩原先生:真空容器を発明したきっかけは、70歳ぐらいのころ、病気で入院している時に見たテレビ番組がきっかけですね。アフリカの食糧難を特集した番組では、意外なことを伝えていた。

ー 意外なこととは?

萩原先生:アフリカは食料が豊富に採れる国だということ。だが、気候やインフラの整備がされていないせいで、食材を保存することができずに全て腐ってしまうため、餓死者が後を絶たないという事実でした。餓死者をなくすためには食材を1日でも長く持たせる方法が必要だが、そんなものは当時なかったんですね。

水もない、車もない、電気もないでしょ。
だから、自分達が作ったものは食べることができるけど、温度は高いし道路もないために、食料が腐ってしまう。

ー 食料があるのに餓死者が出てしまうのは、非常に悲しいですね。

それを聞いた時に、「ああ、そりゃそうか。“保存”と“流通”は非常に大切だな」と心から思いましたね。食料が取れても保存も流通もできなければどうすることもできない。要するに、腐らせないで長持ちする技術を考えれば良いんだと思った。
形にするまでにどのくらいかかりましたか?

萩原先生:寝ている間、2ヶ月ぐらいだったかな。その間に考えたね。どうやったら実現できるかを色々と考えた中で、最後に真空しかないなと。

ー これを解決するのは真空だ、となる前にいくつかアイディアはありましたか?

萩原先生:ありましたね。まず真空はすぐ思いついたが、冷凍冷蔵もあるなと。
しかし、冷蔵も冷凍もアフリカでは電気がないから話にならない。やはり保存ができて、安くて、誰でも簡単にできるっていう条件を満たすのは「真空」しかないと思いました。

真空ハジーパック(固体)

これまでは、どういった技術を開発されていたのですか?
萩原先生:今までは、NASAのロケットや原子力という、最先端の技術を要する大きな規模の事業をやってきました。まさか、自分が「食」にまつわる技術開発をするとは夢にも思わなかった。

本当にたまたま、病院で目にしたアフリカの特集テレビを見たことがきっかけ。貧困のひどい現実を知って、自分がどうにかして助けたいと考えてこの真空容器を作ったんです。
この真空特許技術、始まりは?
萩原先生:真空技術の始まりは、ノートパソコンが大流行した時代に、アメリカの友人から相談が来て作ったエアパッケージですね。

ー どういう商品なのでしょうか?

萩原先生:飛行機に乗せる時に高価なPCをどんどん投げられて破損してしまうのを防ぐために、会社でエアクッションを作ったそう。しかし、それを止めるバルブはどうしてもできず、私に相談してきたことが真空の始まりだね。これまでは鉄やチタンなどを取り扱ってきたので、プラスチックなどのフィルムを扱ったことが初めてだった。

これが私とプラスチックとの出会いであり、プラスチックの凄さを知った瞬間だった。「これを利用しなくては」という思いに駆られたね。
このアイディアを着想された時、どちらから思いつかれたのですか?
萩原先生:同時ですね。食糧問題に取り組むとき、どちらかだけでは話にならないと思っていたから。でも、自信があったのは固体の方でしたね。

ー真空パックで固体を実現するのは難しいとされています。そんな中で液体の開発にこだわった背景を教えてください。

萩原先生:本当に困っている人、ほしい人たちに届けられていない現実をなんとかしたい想いで開発しました。固体はもちろん、液体でできることはたくさんある。例えば、災害や停電が起きた時にこれを使えば、水を積んで置けるから孤立した村でも美味しい水が飲めるんです。だから、液体も必要だった。

ー お話をうかがっていると、小さいものから大きいもの、固体液体の形状を問わず、どうすれば直面する問題が解決できるのかを常に大きな視点で見て発明されているのですね。

萩原先生:消費者に使える身近なものから災害にも使える大規模なものまで、最初から考えて設計していますね。私にとって「発明すること・何かを考える」のは日常茶飯事のことで、ごく当たり前のことなんです。常々思うことは、この技術を世の中に早く出してほしい、こういうものもあるんだよと。技術で人の役に立ちたいと思っています。
真空ハジーバッグ

真空ハジーバッグ (液体)

真空技術を開発する際にぶつかった壁はありますか?

萩原先生:ありますね。新しい技術だから、必ず商品化や実装する前にテストをしなくてはいけません。真空容器でいうと、これまでにない全く新しい技術であるため、それを数値化して証明することが難しい。

例えばワインも醤油も、味覚と香りだから人による部分もあり、簡単に数値化できない分野なんです。データを取りたいが実験する設備も基準となる値もないことは、一番困りました。

ー なるほど。基準がないため、そこから自分たちで作って証明する必要があるんですね。

萩原先生:検証することは実はとても大変なことなんです。自分たちではそういう実験をやりたくてもすぐにはできない。しかし、とある大企業がお米を入れた容器を実際にトラックで日本横断する、2000kmにも及ぶ輸送テストを行なってくれて、あれはありがたかったね。

(現在インターホールディングスでは、商品の検証や実験を行いデータで可視化する取り組みもおこなっています。)
どういう人たちにこの技術が届いてほしいですか?
萩原先生:やっぱり、インドや中国など世界中の食で苦しむ人たちに届いてほしいね。道がなく食料を運送ができないために餓死してしまう国の人たちに使ってほしいね。今一番必要なところだから。

電気もない、道もない、流通できない、経済レベルが低い地域や国に届けてほしいね。アメリカや日本でも必要だけど、お金の問題ではない。

この技術を、人のためになる技術を、どうやってみなさんに広めていくのか。真空容器を作ったときにそれが難しいと感じてた。そこをインターホールディングスさんにはお願いしたいと思っています。

発明家 萩原忠(はぎわらただし)先生 プロフィール

発明家 萩原忠氏 ハジー技研 インターホールディングス会長

プロフィール

1931年(昭和6年)生まれ 山梨県甲府市出身。立教大学卒業後、流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。約493件特許取得を成す日本を代表する発明家の一人。

2001年、真空開発技術を用いて食品・液体を真空保存しSDGsに対応したアイテムを開発・製造するメーカ「ハジー技研株式会社」を設立。また、2022年より株式会社インターホールディングス名誉会長に就任。
主な技術開発歴
・東海村原子力発電所(周辺油圧制御装置)
・日本石油喜入基地(原油受入れ連続濾過装置)
・ナショナル、プロジェクト(電源開発)(石炭液化連続、分離、濾過装置)
・日本、米国、仏国、3国合同開発(下水前処理自動高速除塵機)(世界255都市)

主な受賞歴
・1972年 科学技術庁発明実施奨励金交付
・1973年 発明協会奨励金受賞
・1974年 (日本)科学プラントショウCP賞受賞
・1975年 科学技術庁長官賞受賞
・1978年 アメリカ全米公害防止ショウ(ミルウォーキー)出品 受賞
・2004年 防衛庁からの依頼によるイラク、サマワに持ち込む真空携帯水筒の開発製造
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